巡礼の約束を恨む若者の生霊と姉よし
どんな伝承か
隠岐島宇賀村の万蔵は、文政十一年の訴状でこう述べている。三十三年前、姉のよしと西国巡礼に出たとき、城崎の湯島温泉で三十歳ほどの美しい若者とその家来らしい老人の二人連れと知り合い、しばらく道中を共にしたが、いつしかはぐれた。伯耆で隠岐行きの船を待つ宿で、立派な若者と供の巡礼が島へ渡りたがったが許しが出ず帰ったと聞くと、よしは道中で親しくなり、冗談に島へ来たら女房になると言ったと打ち明けた。帰って二年ほどでよしは血の道を病み、父利平太が海前寺で占わせると、約束を果たせなかった男の生霊のたたりだと告げられた。別府村の宇野石見ら三人の二夜三日の大祈禱で、ようやく快方に向かった。
原典より
いずこの国の人かは知らないが、女難をうけた男があつて、相手の女との約束を守られなかつたのをいかんに思い、その生靈がよしの身にくつついてたたつたのだ—— つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年))
『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、柏林書房から刊行した憑きもの筋の研究書である。島根の狐持ちの家に生まれた著者が自らの体験を語り、破談や絶交など迷信が今も残す実例、蛇持ち・犬神・外道・とうびょうなど十一種の類別、人狐物語や松江藩の御触書、隠岐の訴状などの文献を取りあげる。後半では近世中期以後の新興地主と村八分から迷信の発生を説き、柳田國男と恒松安夫の序を付す。