松平直政の熱心な稲荷信仰
どんな伝承か
歴代松江藩主の熱心な稲荷信仰は、狐神信仰を強め、出雲の憑きもの界を狐で塗りつぶした。初代藩主松平直政は越前時代から稲荷を信仰し、松江転封後も白狐を夢に見るほどで、万治元年に城内へ稲荷を勧請した。その信仰は広瀬・母里の支藩にも及んだ。七代松平治郷(不昧)も稲荷を篤く尊崇した。皮肉にも後年、松江藩と分家の藩主およびその武士団までもが、民間から狐持ちに指定されるに至ったという。
原典より
歴代松江藩主の熱心な稲荷信仰は、狐神信仰を強調し、出雲の憑きもの界を、狐によって塗りつぶしてしまった。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年))
『出雲の迷信』は、狐持ちの家に生まれた国史研究者の速水保孝が、一九七五年夏のはしがきを付けて著した啓蒙書である。出雲・伯耆・隠岐に根強い狐持ち迷信を、自身の結婚や子ども時代の体験、柳田国男との対話、土佐の犬神統の調査、松江藩の文書、祈禱師と村八分の実例からたどり、家名や人名もほぼ実名で記す。わが家は狐持ちに始まる九章で、憑きものの意味、狐持ちの発生と実態、戦後の打破運動を述べ、狐持ちのなくなる日で結ぶ。