体制破壊者への烙印
どんな伝承か
松江藩が発した「人狐無之儀触書」の真のねらいは、田畑・山林・家屋敷に主付きがなければ強制的に主を申し付けるとあるように、不耕作田畑の出現を食い止めることにあった。年貢を基礎とする藩財政を守るためである。裏返せば、狐持ちへの村八分は縁切りにとどまらず、土地の売買・貸借の拒否にまで及んでいた。文化六年には島根郡講武の入会山争いから、裏切り者や敵対村の有力者が狐持ちに指定される事件も起きた。
原典より
これらの訴えに応えて、松江藩が発した「人狐無之儀触書」の真のねらいは「依って以来は、田畑・山林・家やしき等、主付きこれなく候はば、品により、押して主付き申付け候儀もこれある可く候間、此の旨あい心得可く候」とあるように、不…—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年))
『出雲の迷信』は、狐持ちの家に生まれた国史研究者の速水保孝が、一九七五年夏のはしがきを付けて著した啓蒙書である。出雲・伯耆・隠岐に根強い狐持ち迷信を、自身の結婚や子ども時代の体験、柳田国男との対話、土佐の犬神統の調査、松江藩の文書、祈禱師と村八分の実例からたどり、家名や人名もほぼ実名で記す。わが家は狐持ちに始まる九章で、憑きものの意味、狐持ちの発生と実態、戦後の打破運動を述べ、狐持ちのなくなる日で結ぶ。