ハーンとキツネ
どんな伝承か
ラフカディオ・ハーンは明治二三年八月、松江中学の英語教師として来松し、一年余り在職する間に松江の士族の娘小泉節子と結婚して熊本へ去った。彼は著書『日本瞥見記』の「キツネ」の項で、松江の士族屋敷には稲荷の祠と石狐があり、下層民はサムライは家に狐を飼うと想像したと記す。そして武士が権力を失い士族となり、狐持ちの町人と縁組するようになってから、狐持ちの被害者になったと述べている。
原典より
ラフカディオ・ハーンは明治二三年(一八九〇)八月、松江中学の英語教師として来松し、一年余りの間在職するが、その間、松江の士族の娘、小泉節子と結婚して熊本に去っていった。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年))
『出雲の迷信』は、狐持ちの家に生まれた国史研究者の速水保孝が、一九七五年夏のはしがきを付けて著した啓蒙書である。出雲・伯耆・隠岐に根強い狐持ち迷信を、自身の結婚や子ども時代の体験、柳田国男との対話、土佐の犬神統の調査、松江藩の文書、祈禱師と村八分の実例からたどり、家名や人名もほぼ実名で記す。わが家は狐持ちに始まる九章で、憑きものの意味、狐持ちの発生と実態、戦後の打破運動を述べ、狐持ちのなくなる日で結ぶ。