神宮寺の鐘が鳴った狐持ち騒動
どんな伝承か
池田藩の諸事控帳によれば、宝暦三年、伯耆国汗入郡国信村で狐憑き騒動が起きた。祈禱師伝六の託宣によって孫四郎の狐の仕業とされ、孫四郎が狐を引き取らないため村中が連判して役所へ請願し、村民は神宮寺の鐘を撞いて大騒動に及んだ。吟味の末、孫四郎は申し開きが不届き千万だとして汗入・会見・八橋の三郡から追放された。孫四郎を狐だと触れ歩いた吉郎兵衛と惣兵衛も、村中を騒がせた不届きとして妻子ともども三郡追放。祈禱の礼に三百文を受けた伝六は矢津村で入牢したが白状して出牢を許され、祈禱師の快順は作州・伯州両国からの立退きを命じられた。
原典より
更に、役人が国信村に止宿した際、村民達は、村の神宮寺の鐘をついて気勢をあげ、村中大騒動に及んだ。—— 憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・1953年(昭和28年)初版・1956年(昭和31年)新版)
『憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、昭和三十一年に書き加えて新版とした研究書である。出雲・隠岐を中心とする山陰の狐持ちなど、家筋に結びつけられた憑きもの迷信を、法務局が扱った人権事件、藩の触書や村の古文書、加茂町の世帯調査から集めている。狐持ちの家に生まれた著者の体験から説き起こし、江戸中期以降の新興地主への反感に起こりを求める。柳田国男が序を寄せている。