経次の怨霊を鎮めた経石と雨宝童子
どんな伝承か
上宮寺に伝わる縁起によれば、阿漕の浦は魚の集まる地で、神宮へ供える魚を調えるため他の漁は固く禁じられていた。経次はそれを破って夜ごと漁をし、露見して生きながら逆さまに海へ沈められた。元久のころになって経次の冤魂がなお激しく、命日の七月十六日の夜には大勢が網を引く声が聞こえ、疫病で多くの男女が死んだので、人々はいよいよ恐れた。そこで友盛が西律律師に頼んで弔いを願い、律師は三七日の念仏ののち、経文を石に写して海へ沈めた。まもなく経次の亡魂が枕辺に現れ、浄土に往生すると告げ、雨宝童子の像を寺の守護神として祀るよう望んだという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第9巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第9巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全100話(奈良・大阪・和歌山・三重=近畿南部/紀伊)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。