浅草海苔として売られた行徳の海苔
どんな伝承か
今から百年ほど前、語り手の祖父の祖父がこのあたりで海苔作りを始めたという。語り手は十九のときから作りだして三代目になる。百姓をしたり、海苔がとれない時期は出稼ぎに行かなければ食えなかった。海苔は十月に種を付け、十月末に本ざくへ移し、それから四十日ほどで採れはじめて三月に終わる。海からとった海苔を刻んで漉き、乾燥させて仕上げるが、手で漉いた頃は一日に千枚できれば大自慢だった。今は機械で一日二万枚も上がるという。大森は水の汚れが早く、行徳から多くの海苔が買われて大森の海苔、浅草のりとして売られたと伝える。
原典より
今から百年くらいあと(前)に、おれの爺さんの爺さんが、このあたりで海苔作りを始めたそうだよ。—— 市川の伝承民話 第1集(市川民話の会・市川の伝承民話・1980年(昭和55年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
市川の伝承民話 第1集(市川民話の会・市川の伝承民話・1980年(昭和55年))
『市川の伝承民話 第1集』は、市川民話の会が昭和五十五年に編んだ民話の資料集である。市川市教育委員会の事業として昭和五十四年度に千葉県市川市の国分・北国分・行徳・南行徳で行った採訪調査のうち、テープ起こしを終えた語りを、方言も残して話者の息継ぎのままに記録している。世間話・伝説・昔話・唄・生活譚の五部に分けて地区別に並べ、話末に話者・地区・記録者の名を添える。