大正六年の津浪と了善寺付近の浸水
どんな伝承か
浦安・南行徳・行徳の一帯は数え切れないほど津浪に見舞われてきたと伝えられる。中でも大正六年十月一日の高潮はけた外れに大きく、相之川の了善寺付近で一メートル八十センチほど浸水したという。当時小学生だった相之川の老人たちの回想では、女の叫び声を聞いた途端に敷居が持ち上がり、川と海の両側から水が押し寄せて半鐘を鳴らす暇もなかった。江戸川が堤防を越え、父と雨戸を押さえても敵わず、兄弟三人が神棚の上に乗って助かった家もある。電灯がまだ点かぬ中、父が天井の配線につかまって安心しろと叫んだ声を六歳の子が覚えていた。翌朝は小学校のあたりまで稲や浦安から流された家が散乱し、浦安では四、五人が亡くなったという。
原典より
津浪は、かぞえきれないほど浦安、南行徳、行徳を襲ったといわれています。—— 市川の伝承民話 第1集(市川民話の会・市川の伝承民話・1980年(昭和55年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
市川の伝承民話 第1集(市川民話の会・市川の伝承民話・1980年(昭和55年))
『市川の伝承民話 第1集』は、市川民話の会が昭和五十五年に編んだ民話の資料集である。市川市教育委員会の事業として昭和五十四年度に千葉県市川市の国分・北国分・行徳・南行徳で行った採訪調査のうち、テープ起こしを終えた語りを、方言も残して話者の息継ぎのままに記録している。世間話・伝説・昔話・唄・生活譚の五部に分けて地区別に並べ、話末に話者・地区・記録者の名を添える。