将軍に直訴して磔となった木内宗吾
どんな伝承か
佐倉宗五郎の名で知られる義民の本名は木内宗吾といい、印旛郡公津村大字下方に生まれ、のちに下方村の里正となった。承応年間、領主堀田正盛が検地を起こし、年貢は一石納めたものが一石二斗二升の負担にまで重くなった。佐倉領三百八十九か村では家財を没収され、抵抗すれば拷問と投獄、他国へ脱走する者七百三十余戸に及んだという。宗吾ははじめ自分の資産を割いて代納したが続かず、飯野村三郎兵衛ら六人の里正とともに奉行所へ嘆願書を出す。だが六人は逆に咎められ、承応二年十二月、佐倉の郷宿市右衛門へお預けの身となった。宗吾はのちに将軍家へ直訴し、子ともども刑に処せられたと伝わる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説叢書 下総の巻(藤澤衛彦・日本伝説叢書・1919年(大正8年))
『日本伝説叢書 下総の巻』は、藤澤衛彦が編著し、大正七年の緒言と大正八年の序を添えた下総国の伝説集である。平将門・佐倉宗吾・真間の手児奈・累などを中心に、千葉県と茨城県西部にまたがる旧下総の城跡・寺社・墓・橋・井戸などにまつわる伝説を、地誌や古記録の引用を交えて収める。緒言で百七十九編を収めると述べ、国名の由来から始めて、話ごとに所在の町村名を付した見出しを立てて並べる。