二十五歳で脳癆に倒れる予言的中
どんな伝承か
近藤与三郎は、十七歳の大病を仙薬で乗り切ったのち、明治十二年、二十五歳になって再び重い病に倒れた。当時織屋町に住んでいた旧金沢藩士の医師三宅某に診せたところ、すぐに脳癆と診断された。求道者及川鼎がかつて告げた二十五で天命が尽きるという予言がまたも当たりつつあると感じた与三郎は、いよいよ寿命が来たのだと心中ひそかに覚悟を決めたという。
原典より
当時、織屋町に居を構えていた旧金沢藩士三宅某なる医師にみて貰うと、ただちに「脳癆」と診断した。—— 日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本神異見聞伝(笠井鎮夫・1974年(昭和49年))
『日本神異見聞伝』は、笠井鎮夫が昭和四十九年に著した霊異の見聞記である。第一篇では、大正期に大本で鎮魂帰神を受けた著者が、霊媒による死者の招霊や狐霊・竜神の託宣、霊石の発掘などを研究会での語りの口調で伝える。第二篇では、慶応三年のええじゃないかのころ尾張・遠江・駿河・美濃・丹後などで起きたお札降りを、旧家の古文書や郷土史家の便り、著者の現地調査から記録している。