縁先の蝋燭で救われた美保沖の船
どんな伝承か
恒原松太郎の母が小野当以に語った話である。明治四年二月十二日の夜、御神前の天満宮が、いま出雲国の美保の崎の沖で大船が難破しかけている、すぐに出て明かりを見せてやれと告げた。松太郎は母に蝋燭をともしてもらい、裏の雨戸を開けて縁先で火を高く掲げ、半分ほど燃えたところで吹き消すと、船は美保の崎に入って助かった、いずれ礼に来るだろうと言った。その年の六月半ば、能登の者だという船頭風の男が三人訪ねてきた。難船のとき天満宮に祈ると、空から向こうの火を目当てに行けと声がし、船は綱で引かれるように湊に入った、その夜のお告げで大阪の松太郎の火と知ったと礼を述べたという。
原典より
「松太郎、今出雲国美保の崎沖合に難船をして居る大船あり、早く出でて明りを見せて遣れ」—— 近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・1966年(昭和41年))
『近代日本霊異実録』は、笠井鎮夫が著して昭和四十一年に昭森社から初版を出した、幕末から近代の神憑りと霊異の記録で、ここに収めるのは昭和四十八年に山雅房から出た複刻版である。金光教・黒住教・天理教・大本の教祖の神憑り、井上正鉄の求道、宮地常磐・堅磐父子や河野至道の神仙譚、天狗の弟子寅吉の話、長南年恵の奇跡などを、手記・写本・旧著を引いて語る。全十二録からなり、第一録には金光教に入信した著者の父の手記を収め、巻末にあとがきと著者略歴を置く。