竹の間の柱で狂い死にした小早川秀秋
どんな伝承か
岡山城の竹の間の柱にまつわる因縁を、城の茶坊主が語った話。関ヶ原の戦いで小早川秀秋は東西のどちらにつくか迷った末に裏切り、松尾山を駆け下りた。これを見抜いていた大谷刑部吉隆は、病で目が見えぬ身ながら八百の手勢で迎え撃ち、一人残らず討ち死にした。戦の後、宇喜多秀家に代わって岡山城を与えられたのは秀秋だった。しかし狩りの帰りの夕暮れに怪しい影におびえて落馬して以来、正気を失い、眠らず食わず、大谷刑部の名を叫んで近侍や侍女を斬り倒し、ついには竹の間のあの柱にもたれて狂い死にしたという。
原典より
それ、あの竹の間で、あの柱にもたれて、狂ひ死に召されたのぢや。—— 民俗怪異篇(磯清・磯清・民俗怪異) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
民俗怪異篇(磯清・磯清・民俗怪異)
『民俗怪異篇』は、磯清が著した民間の怪異をめぐる随筆集である。馬を襲う魔物ギバとその禁厭、阿波の首切れ馬「夜行さん」、姫路城の刑部姫や猪苗代城の亀姫などの城の怪、化け猫、灯火による占い、秩父三峰の狼の信仰と狼の怪、怪談を題材とする落語を取りあげ、各地の言い伝えや古い記録を引きながら語る。序に続いて「馬の災と馬の怪」「城の主」「猫」「灯の占」「狼の噂」「落語に存在する怪談」の六篇を置き、それぞれを小見出しの短い話に分ける。