人狐を口にする祈禱者を戒めた島前役所
どんな伝承か
宇賀村の万蔵の訴状は村役人から大庄屋を経て島前役所へ伝えられ、文政十一年の末、嶋前御役所の名で通達が出された。通達は、当島で近年疫病が流行した際に寺社や山伏へ加持祈禱を頼んだ者が多かったのは、どこの国でも行われることで何の差し支えもないと述べる。しかし中には人狐のせいだと言う者がいるため、人狐と指定された者の所有田畑は下作に出しても誰一人耕そうとしない実状であり、このまま推移すれば政治上ゆゆしき問題になるとした。そして今後、祈禱料欲しさに人狐のせいなどと言う寺社山伏は厳重に処罰すると告げた。惣百姓や役人が請書を出し、社家大和のように謝罪文を出す者さえあった。
原典より
このまま推移するならば、政治上由々しき問題になるおそれがあるから、全寺社、山伏の中、今後、祈禱料ほしさに、人狐のせいなどと言うものがある場合は、…—— つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年))
『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、柏林書房から刊行した憑きもの筋の研究書である。島根の狐持ちの家に生まれた著者が自らの体験を語り、破談や絶交など迷信が今も残す実例、蛇持ち・犬神・外道・とうびょうなど十一種の類別、人狐物語や松江藩の御触書、隠岐の訴状などの文献を取りあげる。後半では近世中期以後の新興地主と村八分から迷信の発生を説き、柳田國男と恒松安夫の序を付す。