人狐への返済を口実にした源四郎襲撃
どんな伝承か
隠岐宇賀村(現・西ノ島町宇賀)の国三郎の愁訴によれば、村八分の最中、徳田屋甚右衛門が死去した折、故人と親しかった村人約二十名が弔問すると、年寄の幸左衛門が寄合の席で村の規約違反だと厳しく叱りつけた。さらに正月二十四日の夜、源四郎宅を淺四郎と友四郎が突然訪れ、『お前から借りた金三百匁は、昨晩お前の家の人狐が取りに来たから狐に払ってやった』とわめき、友四郎が隠し持った七尺棒で源四郎を半死になるまで打ちすえた。国三郎はこれら一連の迫害を網羅した愁訴の願書を作り、安政二年二月に大庄屋へ提出した。大庄屋は村役人らに説諭し、形式上は村八分が解除されたが、差別は末長く続いたと思われる。
原典より
このように、村八分事件が一向に解決をみないままに、当地方に、疫病が大流行し、私の親戚でも、相当沢山の人々が病気にかかり、中には死ぬものさえでてまいりましたが、…—— つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年))
『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、柏林書房から刊行した憑きもの筋の研究書である。島根の狐持ちの家に生まれた著者が自らの体験を語り、破談や絶交など迷信が今も残す実例、蛇持ち・犬神・外道・とうびょうなど十一種の類別、人狐物語や松江藩の御触書、隠岐の訴状などの文献を取りあげる。後半では近世中期以後の新興地主と村八分から迷信の発生を説き、柳田國男と恒松安夫の序を付す。