松尾神社で読み上げられた村八分の決議
どんな伝承か
同じ年の七月二十四日、宇賀村の願成寺での村役人の寄合で、組頭の利平太と秀四郎は年寄伝吉から、両家の人狐が河内屋清左衛門方の病人にさわったので、村と相談して伯州米子の奥の山市場の祈禱者に人狐払いを頼めと言い渡された。返事をためらううちに二人は役を解かれ、一門は祈禱料を出すかわりに祈禱師に人狐と言わせないよう条件を付けた。だが八月一日、村の者は一門を置き去りに船出し、行き先を出雲大社に変えた。十三日、氏神の松尾神社での総寄合で大社の札が配られ、人狐組合との縁組、付き合い、漁船への乗り組み、道具の貸し借りを一切断つ決議が読み上げられた。
原典より
村役人達は、まず、出雲大社から持ち帰えつた御札と、烏帽子と、向張とを神前に飾りたて、御札を一枚一枚村民にくばつて、…—— つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年))
『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、柏林書房から刊行した憑きもの筋の研究書である。島根の狐持ちの家に生まれた著者が自らの体験を語り、破談や絶交など迷信が今も残す実例、蛇持ち・犬神・外道・とうびょうなど十一種の類別、人狐物語や松江藩の御触書、隠岐の訴状などの文献を取りあげる。後半では近世中期以後の新興地主と村八分から迷信の発生を説き、柳田國男と恒松安夫の序を付す。