小作を拒まれた生家と同姓の家の改姓
どんな伝承か
狐持ちとされることは、一種の村八分にされるのと同じだった。狐持ちの家とは縁組はもちろん、田畑を耕すことも売り買いすることも拒まれた。著者の生家はいくつもの町村にまたがって田畑を持つ地主だったが、隣の三代という部落の人々は結束して生家の小作人になることを拒んだため、生家はその部落の中に田畑を持てなかったという。さらに三代部落には生家と同じ姓の家があったが、生家が狐持ちと決めつけられたとき、その家は字の違う姓に改めたと伝えられる。
原典より
事実、狐持ちに指定されることは、一種の村八分にされることだと言つても過言ではないでしょう。—— つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1953年(昭和28年))
『つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて』は、速水保孝が昭和二十八年に著し、柏林書房から刊行した憑きもの筋の研究書である。島根の狐持ちの家に生まれた著者が自らの体験を語り、破談や絶交など迷信が今も残す実例、蛇持ち・犬神・外道・とうびょうなど十一種の類別、人狐物語や松江藩の御触書、隠岐の訴状などの文献を取りあげる。後半では近世中期以後の新興地主と村八分から迷信の発生を説き、柳田國男と恒松安夫の序を付す。