第二次事件の拷問と日出麿の発病
どんな伝承か
昭和十年十一月、岡田内閣の閣議は大本の検挙を決め、当局は大津に拠点を設けて綾部と亀岡の建物の見取り図まで用意し、周到に準備を進めた。十二月八日未明に始まった第二次弾圧では、全国百九か所の関係機関が捜索を受け、王仁三郎以下六十五人が京都の警察署に分けて留置された。取り調べは苛烈を極め、自白を迫る拷問で王仁三郎も長髪をつかまれて引きずり回され、殴られ蹴られて何度も気を失った。王仁三郎の長女直日の婿である日出麿は、むごい拷問のために精神に異常をきたし、その状態は著者が書いた時点まで続いているという。
原典より
王仁三郎も例外でなく、長髪をつかんでひきずり回され、なぐる、ける、の暴行でたびたび失神した。—— 亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言)
『亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界』は、「天下の浪士」を名のる加藤正民が、出口ナオと出口王仁三郎、教団大本の歩みを心霊の立場からたどった論考である。ナオの神がかりと筆さき、王仁三郎の出現と高熊山の修業、『霊界物語』の口述、二度の大本事件、晩年の陶芸と死までを、筆さきや関係者の証言を引いて述べる。全編を通じて二人に現れた霊流を「A」「B」と呼び、大本の出来事が後の国の出来事を先取りした「型」を論じる。