盲目の按摩東助が出る坊主橋
どんな伝承か
明石の港の西の隅にある蛭子橋は、坊主橋とも呼ばれた。維新前は川幅いっぱいの板橋で、町から海岸の向町へ出る唯一の道だったが、あたりは材木置き場ばかりで寂しく、狐が人を化かすと噂されていた。天保二年六月の梅雨の夜、坊主頭から坊主と呼ばれた盲目の按摩東助がこの橋を渡って仕事に出たまま帰らず、翌朝、顔をむごく掻きむしられた姿で水に浮いていた。爪跡は狐のものと見られた。以後、夜に橋を通ると材木の浮かぶ水から血まみれの東助が大入道となって現れ、見た者は大病にかかるか海へ突き落とされたという。橋が架け替えられた日には、晴天なのに橋がそっくり落ち、東助の祟りといわれた。
原典より
風雨もない日本晴の好天気だのにゴッソリと橋が落ちたのである—— お化と幽霊 怪談揃ひ(大文館編輯部(編纂)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
お化と幽霊 怪談揃ひ(大文館編輯部(編纂))
『お化と幽霊 怪談揃ひ』は、播州を中心に摂津・淡路・大阪・神戸の怪異を集めた怪談集である。神戸のチャブ屋に残された下女の片足の靴、明石の坊主橋に出る按摩の怨霊、西瓜に浮かぶ女の顔、淡路洲本の白壁物語、西宮のねてこが池の怪などを、地名と人名を挙げて講談調で語る。三十余りの話を並べ、天保や明治九年の出来事とする話のほか、寄せられた原稿によるとことわる話も含む。