柴山官左衛門の狐持ち迷信解消の願い
どんな伝承か
明治六年八月十八日、島根県第七区雑賀町の柴山官左衛門は県に演説書を差し出した。県内には狐持ちと呼ばれる家筋が少なくないが、それは人々の悪口から出たもので、旧藩の時代にも根拠のないことだと再三諭されたのに、分別のない者は本当のことのように言い張り、そうした家を人でないかのように扱って付き合いも縁組も避け、親しくする者まで非難されると訴えた。そのうえで、疑いを解いて互いに婚姻や交際ができるよう取り計らってほしい、もし噂の妖狐が本当にいるなら県の威光で狩り尽くしてほしいと結んでいる。
原典より
明治に至り、六年八月十八日、島根県第七区雑賀町柴山官左衛門は、県当局へ演説書を呈出した。—— 日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年))
『日本の憑きもの――俗信は今も生きている』は、石塚尊俊が昭和三十四年に著した研究書である。狐・犬神・蛇などの動物霊が人に憑くという俗信と、それを操るとされる家筋について、全国の伝承と近世以来の文書を集めて論じる。出雲・隠岐・豊後・土佐では筋の家の割合や縁組の偏りを調べ、憑きもの落としの行法や家の神とのつながりまでを七章で追っている。