梅田署と松江署に重なる梅と松
どんな伝承か
昭和十年十二月八日の第二次事件で、選り抜きの警官を含む二百八十人の武装隊が水盃を交わして、島根別院にいた王仁三郎の検束に向かった。王仁三郎は相手にする気もなく、急用で京都に帰ったと信者に伝えてくれとすみに言い残して、悠然と松江署へ連行されたという。著者が面白がるのは、大正十年の第一次弾圧での検束が大阪の梅田署、第二次が松江署だったことで、筆さきにある梅で開いて松で治めるの梅と松がここでも現れていると指摘し、神の意図を思えば痛快ですらあると書いている。
原典より
おもしろいのは、第一次弾圧の検束が大阪の梅田署、この第二次が松江署、つまり、筆さきの「梅で開いて松で治める」の梅と松がここでも出てくることだ。—— 亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言)
『亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界』は、「天下の浪士」を名のる加藤正民が、出口ナオと出口王仁三郎、教団大本の歩みを心霊の立場からたどった論考である。ナオの神がかりと筆さき、王仁三郎の出現と高熊山の修業、『霊界物語』の口述、二度の大本事件、晩年の陶芸と死までを、筆さきや関係者の証言を引いて述べる。全編を通じて二人に現れた霊流を「A」「B」と呼び、大本の出来事が後の国の出来事を先取りした「型」を論じる。